「20世紀後半の社会彫刻」ひとりごアート

「20世紀後半の社会彫刻」ひとりごアート

「20世紀後半の社会彫刻」ひとりごアート

今年初の、ひとりごアート。(独り言とアートを合わせた僕の勝手な造語です)
僕は学生の頃から彫刻が大好きです。僕の数少ないコレクションの中でお気に入りは大内青圃の「南無仏」。聖徳太子が2歳の時に東を向いて南無仏と唱えた手を合わせる姿の彫刻です。緑青の錆がうっすらと覆いとてもいい感じです。
今回のひとりごアートは社会的な20世紀後半の彫刻について流れをおってみます。*下記に出てくるモエレ沼公園は北海道にあり、彫刻家イサムノグチによるもので数年前、雪の中彷徨い歩いた思い出の場所です。

20世紀前半から彫刻のあり方が大きく変化し、公共空間との一体化に成功した20世紀後半の社会彫刻は、とても刺激的である。具体的には、公共広場の中央に高くそびえる権威の象徴としての像である威圧的で緊張感のあるモニュメント(記念碑)から、モエレ沼公園のように、彫刻自体が公園となり、人々が憩いの場として過ごす社会彫刻への変化である。その変容過程にある各々の芸術運動の影響、及び、20世紀後半の時代背景や社会との関わりについて考察する。

モニュメント(記念碑)的な彫刻を否定し、芸術家自らの表現を追求することによって、公共広場に設置される彫刻は次第に少なくなり、台座に乗った人物像という型は失われていくことになる。このことは、公共空間の社会彫刻と人々との接点も、同時に失うことにつながる。
型を失い、自由を得た彫刻造形は、様々な芸術運動の影響を受けることになったと考える。<抽象美術>の影響としては、本質を目指す姿勢だ。芸術家の精神性こそが重要と考えて、目に見えないものを見えるようにする表現への変化はとても重要である。<ダダやシュルレアリズム>の、精神の自由を至上の価値とする考え、人間の無意識に本質があるという思想は、芸術とは何かという気づきを得ることになり、日常生活の無意識の中に芸術があることを知る。<ミニマリズム>では、形態を切り詰めモノとしての特性を強調させる技法よりも、現在という時間の中で起こる生々しい現実感という、時間軸の影響をうける。<コンセプチュアル・アート>からは、人間の認識に対して、知的表現で文化的意味を持たせ、意味こそが大切であるという思想。また、<ランド・アート>の屋外作品は、環境とともに変容し、時間によって境界という枠組みからも解放され自然に溶け込むことに影響をうけた。
芸術家自身の表現の追求から彫刻の変革がはじまり、各運動・文化の深く厚みのある積み重なりを経て、やがて社会・環境とのかかわりを重要視する表現に移っていくことはとても興味深い。

公共空間に置かれた、記憶をとどめておく機能や権力としてのモニュメント彫刻を失い、やがて、<パブリック・アート>として社会との関わりをもとうとするも、反対運動がおこる。ここに初めて人々が意見を言える権利を得た、民主的な公共広場が生まれたといえる。その後、プロセスを含めて作品と考え、交渉を通じて社会との関わり持ちはじめる。言い換えると、社会や政治から押しつけられた<モノ>としての彫刻から、参加をする<コト>としての彫刻に移り変わった。モエレ沼公園では、豊かな時代背景として公園が彫刻となり、遊具としての機能を内包させて芸術として一体化する。身体で感じることのできる社会彫刻は、体験や経験としての芸術にかわり、SNSにより情報が世界にひろがる。個人の体験を通じた生々しい経験に価値観が高まり、その体験が<人をつなぐ芸術>になる。リアルな人の心の動きが芸術なのである。

インスタアカウント kajiuraarchitect

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にて新築工事・リノベーションの設計・監理の実績。

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