「中国造形芸術の歴史とその背景」ひとりごアート

「中国造形芸術の歴史とその背景」ひとりごアート

「中国造形芸術の歴史とその背景」ひとりごアート

先回に引き続き造形について、ひとりごと+アートをしてみます。今回のテーマは中国。数年前に中国の張家港市でゲストハウスを設計監理させていただくことをきっかけに、中国について学びを深めた時期があります。実際に、設計する前には中国の文化を学ぶために中国四大名園の一つ蘇州の拙政園を訪れて庭の構成要素を学び、その思想をゲストハウスの平面計画に入れ込みました。その後も中国に通い4つの仕事をさせていただきました。疫病により途絶えてしまいましたが、機会があれば、また中国でも仕事をしていきたいと思っています。今回は中国造形芸術の大きな流れを時代ごとに箇条書きでおってみます。

中国の古代から清時代に至るまでの、造形美術の変化はとても興味深いものである。長い歴史的背景や社会との関わりの中で生まれ、進化する芸術を、時系列に把握したうえで、変化する中国造形芸術の本質を探究する。

中国美術は、先史時代の土器の装飾から始まる。黄河域の「彩陶双耳壺」は、表面に文様が施され、洗練された造形感覚がある。

殷時代に入ると、玉の柔らかな表情に生命の源や、再生の霊的効力を求めた。青銅器は神々に捧げる祭祀として使われるとともに、王権の象徴としての意味も込められた。

周時代は、人を大切にする忠実な政治が行われ、「毛公鼎」青銅器では、実用的につかうものとして造形的にも穏やかな表現に変化している。

春秋時代は戦国時代といわれ、各地域がそれぞれ力を持つことで、地域性に富んだ多彩で様々な器形が生まれた。「金銀象嵌闘獣文鏡」は、象嵌などの新技術が高まり、透彫などの装飾性に富んだ青銅器である。

戦国時代を統一した秦時代にはいると、墓や宮殿、万里の長城などの土木工事で民衆が苦しんだ。「始皇帝陵と兵馬俑坑」では不老不死を願い神仙思想と死後霊魂の思想を表現したといえる。

南北時代は、九品官人法による貴族階級が生まれたことで、儒教が失墜して、老荘の思想が尊ばれ、精神の自由を求めるようになる。王義之の書「蘭亭序」は、単なる物事を伝える為の伝達手段から、鑑賞用として芸術領域に昇華されたことが読み取れる。

隋や唐時代は、貴族階級の政治によって経済的に豊かであり、外国文化を取り入れて国際性豊かな時代である。「唐三彩」は陶器に色を塗ったものであるが、シルクロード文化の影響を受けて独特の美しさを生み出した。日本は、遣隋使や遣唐使の派遣により、大きな文化の影響を受けることになる。

五代や北宋時代では貴族社会が崩壊して、武断政治が中心になり、文治主義、君主独裁体制を築き士大夫が文化の担い手となる。郭熙「早春図」山水画では、多様な技法を用いて、普遍的なものを求め小宇宙を形成する。

南宋時代は宮廷画家の院体様式が盛んになり、徽宗「桃鳩図」は、質感をもった写実的表現と詩情に富んだ格式高い表現となっている。

また、宋時代の陶磁器は、日本では唐物として大切に保管された。世界に3点ある「曜変天目碗」は、すべて日本にある。

モンゴル族の王朝である元時代は、江南の知識人が苦難を強いられて、回帰思想が広まる。趙孟頫「鵲華秋色図」は、復古主義を代表する作品である。

明や清時代は個性を競い合う自由な表現となり、八大山人「安晩帖」は、孤独や悲痛の情を画に託した個性的で独創的な作品であり、後世に影響を与えた。

中国の歴史と、戦乱によって築造され続けた「万里の長城」を重ね合わせてみると、中国は、戦いの歴史だったといえる。少数民族を抱えた他民族国家であることでの戦いである。都が移りかわることでの地域性や、政治における思想の変化、また、他国との関わりにおける生活の変化が、美術を変化させたといえる。
中国造形芸術は、地域性や社会、時代によって変化を続ける生命力あふれるアメーバのようだといえる。

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にて新築工事・リノベーションの設計・監理の実績。

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