「ひとりごと」と「アート」を掛け合わせた「ひとりごアート」。最近ぼんやり考えていることをアウトプットしています。
―縄文から禅の庭へ―
日本美術のはじまりは、「美しさ」ではなく「祈り」だったのではないだろうか。芸術とは装飾ではなく、その時代を生きた人間の心の奥から生まれるものだからである。
縄文時代の火焔型土器を見ると、激しく燃え上がるような装飾と圧倒的な生命力を感じる。そこには整った美しさというより、自然に対する畏れや祈りが表れている。縄文の人々は、洪水や寒暖差など不安定な自然のなかで、狩猟や採集によって生きていた。太陽や月、山や川に向かって「生きたい」「守ってほしい」と祈る。その強烈な思いが、あの激しい造形を生んだのかもしれない。
やがて弥生時代になると稲作が始まり、人々は自然の恵みに感謝するようになる。そして仏教が伝来し、日本の精神文化はさらに深まっていく。
鎌倉から室町時代にかけて広がった禅宗は、「自分の心と向き合う」思想を生んだ。その象徴が、京都・龍安寺の枯山水庭園である。白砂の庭に置かれた十五の石。水はないが、そこには山や海の風景が感じられる。抽象的な庭は、見る人の心によって意味が変わる。静かに座り、庭と向き合う。それは同時に、自分の心と向き合う時間でもある。
縄文の激しい祈りから、禅の静かな庭へ。日本美術とは、その時代を生きた「人間の心のあり方を映した」ものなのだと思う。
だから僕は、建築もまた同じだと感じている。空間とは、人間の精神を映す器なのではないだろうか。
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